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8月14日 「運命と神様の摂理」

  • 2011年8月14日(日) 15:25 JST
  • 投稿者:
    manager

ラスベガスのあるネバダ州は世界で唯一、職業として売春婦が法的に認められているところです。これが問題です。ラスベガスは国際都市であり、世界中の大統領、国王、VIPが集まってくるところです。30万人を収容できる宿泊施設があります。この街をお父様はSin City(罪の街)からSun City(太陽の街)につくり変えようとされています。ラスベガスでは30歳過ぎの売春婦はゴミのように捨てられます。そして麻薬患者やアルコール中毒になっていきます。まさに地獄です。今、ゲーム大会の収益金を通して売春婦の更生のためのシステムをキリスト教団体と協力して作っているところです。お父様はラスベガスで食べない、眠らない、御言を語り続けるという生活をされながら罪の街を変えるための具体的な取り組みをされています。



運命とは広辞苑によれば、「人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐってくる吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用。人生は天の命によって支配されているという思想に基づく。めぐりあわせ。転じて、将来のなりゆき。」と書いてあります。神様のなさることは1つも無駄なことや意味のないことはありません。お父様も「悪いことは良いことだ。悪いことを通して背後の悪いものを整理して大きな幸福を与えようとされる神様がいらっしゃる。」と語られています。悪いことが起こった時に、私たちはいろんなことを考えさせられたり、反省したり悔い改めることができます。それによって正直になれたり、愛と希望に溢れ、人生のビジョンが見えるようになり、顔が明るくなっていく…、これが本当の悔い改めです。だんだん暗くなって落ち込んでいくというのは偽りの悔い改めです。それは「神様の摂理」であるということを理解しているかどうかの違いです。

中国の古い書物の中に「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。ある日、とりでに住むおじいさんの馬が逃げてしまいました。近所の人たちは気の毒に思っておじいさんを慰めにいきました。ところがそのおじいさんは「これが幸福のもとになるかもしれん。」と言ったのです。するとその言葉どおり、逃げた馬が名馬を連れて帰ってきたのでした。それで近所の人が良かった良かったと言うと今度は「これがわざわいのもとになるかもしれない。」とおじいさんは言ったのでした。その言葉どおり、その馬に乗ったおじいさんの息子が、落馬して骨を折ってしまったのです。近所の人々はまた気の毒に思ていましたが、おじいさんは「これが幸福のもとになるかもしれん。」と言いました。その言葉どおり、その後戦争があり、多くの若者が戦死しましたが、おじいさんの息子は足が悪いため戦争に行かずにすんだのでした。つまり良いことが悪いことになることもあれば、逆に悪いことが良いことのきっかけになることもある。だから、ただ単に目の前で起こっている良いこと悪いことに一喜一憂するような人生を送るのではなく、良いことがあったら謙遜謙虚になり、悪いことがあったら感謝するような生き方をしなければいけないし、それ以上に私たちは神様を信じているわけですから、すべての出来事を神様の摂理として信じることができます。

食口は御旨に直接関わっている立場ですから、食口に起きる出来事は100%神様の摂理と言えます。神様の摂理とは私たちを悪い方に陥れるための摂理ではありません。救いの摂理であり、私たちを完成させるための摂理です。さらに私たちは氏族メシヤですから、氏族に起きる様々な出来事も氏族メシヤを中心として起こっている神様の摂理なのです。そのことを100%信じることによって、私たちは変に慌てふためくこともまくなりますし、いい意味で腹が据わります。そのようにしてすべてを神様の摂理として見つめ捉える観点と信仰をもって、前進していきましょう。


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