5月31日 「神様から愛されている私たち」

その地の歴史と教会の歴史というものは、不思議と似通っています。どこに行ってもだいたいそのようになっています。その地が辿ってきた様々な歴史を教会を中心に御旨を通して蕩減復帰していくようになっています。私は去年釧路に来たわけですが、最初人事で釧路と聞いたとき、ちょっと決意しました。(笑)そして最初に釧路に来るとき北海道が猛吹雪で、電車で18時間半かかりました。思わず海外人事かと思いましたが、これからの歩みを象徴しているのかと思いながら、でもしっかり辿り着くことができましたので、いろいろ困難はあったとしても必ずゴールに辿り着けるということは確信しています。世の中の様々なことはゴールがあったりなかったりしますが、神様の摂理には必ずゴールがあります。神様は必ず95%を果たしてくれますので、そこは私たちが安心感を持つことができる部分です。
ルカ福音書15章に、失われたものを探すイエス様の3つの例え話しが出てきます。1つ目は、100匹の羊を飼っていた羊飼いがいて1匹が行方不明になってしまい99匹をおいてその1匹を探しに行き見つけ出したという話し。2つ目は、銀貨10枚を持っていたある女性が1枚を失くしてしまい家中の隅から隅まで必死に探して見つけ出したという話し。3つ目は、ある裕福な家庭で育ったある息子が家の生活に飽き父から財産をもらって旅に出て湯水のようにお金を使います。そしてお金を使い果たしたあと飢饉が起こり食べ物に困った息子が悔い改めて父のもとに帰ってくるという放蕩息子の話しです。

この3つの例え話しの中で1つだけ他との違いがあります。羊や銀貨は失くしたときは、羊飼いにしても女性にしても必死になって自ら探しました。しかし放蕩息子の場合、父親は自分から探しには行かなかったのです。羊は動物であり、銀貨は物、すなわちどちらも万物です。放蕩息子は人間です。この話しを通して万物と人間の違いを理解することができます。万物には自らの責任分担というものはありません。ですので、失ったときは主人が全面的に探すしかありません。しかし人間には人間の責任分担というものが与えられています。つまり自由意志というものがあるということです。

この父親はお金持ちであったでしょうから、たくさんの召使いを集めてあちこちを探しに行かせ見つけて強制的に連れ戻すということもできたでしょう。そしてそこで息子に説教したとしても、その息子は「はい、わかりました。申し訳ありませんでした。」と素直に反省するとは思えません。逆にますます反発して、また家を出て行くでしょう。

この父親と放蕩息子の関係は、神様と人間の関係を表しています。結局神様は、ご自分の愛を無理強いすることができないのです。神様は人間を互いに人格的な交流をすることのできる「親子」として創造されました。そこにはどうしても「自由」が必要だったのです。強制や無理強いでは、愛が愛でなくなってしまいます。

この父親はあくまでも息子が自分の意志で帰ってくるのを待ちながら、いつも遠くを見ていたのです。だから戻ってきた息子を見たとき、まだ遠かったのに父親の方から走り寄っていったと書いてあります。そして、一番良い着物を着せ、手には指輪をはめさせ、足には靴を履かせました。これは人間の創造をはるかに越える神様の深い愛を示しています。神様のほうから一方的に愛を無理強いすることは出来ないのですが、人間のほうから一歩でも求めていくならば、とてつもない大きな愛で神様は95%を果たされるということです。あとは私たち人間の一歩、それが人間の責任分担5%にもなるのでしょうけど、その内容は個人個人、その時々で違いが出てきます。ただ、神様は常に私たちの可能性を見ていますし、どんな人間に対しても「この子はいつか立派な人間になる!」と信じて忍耐強く待っておられます。神様はまさに最高の親ばかであり、とてつもない愛で私たちを愛しています。

私たちはもしかしたら、直接の両親から十分に愛を受けることができなかった場合もあるかもしれません。しかしそれは、親もその親から十分に愛を受けれていない場合がありますので、堕落人間の血統の中では仕方がないことです。ただ、たとえ親から愛を受けられなかったとしても、神様からは愛されています。そのことを私たちは真の御父母様と、原理の御言を通して知りました。イエス様もマリアやヨセフから愛されず誰からも信じられなかったにもかかわらず十字架上で立派な最後を遂げていかれたのは、神様の愛を実感していたからです。

今ずっと原理本体論の教育が行われていますが、原理の本体になるということは、私たちが完成人間になるということです。私たちがそのことを信じていなかったとしても、神様は信じているわけです。釧路の地も本当に神様から愛されていると思いますし、私たちも神様の愛を感じながら日々のいろいろな出来事に揺れない信仰と信念をもって前進していきましょう。

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世界基督統一神霊協会 釧路教会: 5月31日 「神様から愛されている私たち」
http://www.uc-kushiro.net/article.php?story=20090531190403141