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5月10日 「必然性と神様の願い」

  • 2009年5月11日(月) 23:47 JST
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    manager

今、水澤里での「神様の摂理史責任分担解放圏完成宣布教育」を通して原理本体論の教育が行われていますが、これは御父母様が直接主管される教育であり、原理解説や原理講論が木の枝や葉だとすれば、原理本体論は木の幹、根になります。堕落と関係のない立場で神様がエデンの園で息子、娘たちにしたかった本然の教育であり、単なる原理の知識教育ではなく、父母が子供に教えようとする内容です。ゆえに内的世界が違うのであり、特に人間の責任分担がどれほど重要であるか、それが「絶対性」であるということです。私たち自体が原理の本体に似た者になっていかなければなりません。



今回、第12回目の水澤里での教育に、国進様と亨進様が来られました。

■国進様の御言

「今の時代はとても興味深い時代です。こういう時代に生まれること自体難しいです。今の状況は日本もチャレンジすべき局面が多いです。短期的な観点で見たら悪くなる可能性もありますが、長期的な観点で見たら良くなる可能性も大きいです。

神様は韓国という国を今の時代に準備してきました。1950年当時は世界一貧しい国でしたが、今は世界13位の経済国になっています。1997年のIMF金融危機のときに多くの大企業も倒産しましたが、結果的には韓国経済の抜本的な改革が為され、韓国企業の負債率が大幅に減りました。それがあったので、今この世界不況の中でも韓国はまだ安定しているほうです。今、世界は経済問題とともにインフルエンザを通してさらに不安な状態になっています。しかし多くの人が深く考えるようになり、神様が新しい時代を準備していると見ることができます。

2005年、お父様が私を米国から韓国に呼ばれましたが、当時は不可能と思える危機ばかりと直面してきました。しかし多くのチャレンジを通して今は目に見える実績が出てきました。亨進世界会長が最初70人の礼拝から始められ、今、本部教会は7000人の礼拝になっています。日本も難しい状況が多いかもしれませんが、皆さんと一緒に私も努力します。」

■亨進様の御言

「国進様はいつも専門性、透明性、公平性を実践され、一般の専門家をどんどん入れていきました。それに対して多くの批判の声もありましたが、国進様は「この人たちを伝道してしまえばいんだ」という発想で、実際に世の中の各分野のトップの人たちが国進様に伝道されています。私は「お兄さん、どうしてそんなに伝道がうまいんですか?」と訊いたら、「とっても簡単だよ。1分以内で原理を教えるんだ。」と言われました。それは、「神様の真の愛を相続してください。」という一言です。ここに原理のすべてが含まれており、神様の本質である「真の愛」を相続できれば、人間は「真の人間」になれるのです。

数千年の歴史の中で神様と対等に授受作用することのできる人間が1人もいませんでした。これがどれだけ悲惨なことか。去年、チェ・ジンシルさんという女優が自殺しました。たくさんのファンがいたのに、誰一人心から信じれる人がいない、とても寂しかったのです。神様も、人間を信じても信じても裏切られてきた、誰もその心情を理解する人がいなかったのですが、その神様の心情を人間歴史以来始めて発見されたのがお父様です。神様のファンはたくさんいたかもしれませんが、神様の真なる対象がいなかった…。今、解放釈放時代というまったく新しい違う時代を迎え、御父母様が神様を解放してこられたように、私たちが御父母様を解放してさしあげなければなりません。

今は霊人たちが再臨して共に仕事をするときです。国進様が、自分の息子のように育て一番愛した兄弟が榮進様でした。榮進様は勉強もよくできる天才で、とても為に生きる人でした。その榮進様が昇華されたとき、国進様は部屋で体を小さく丸めて泣いていました。

神様が皆さんのために準備した友達がいます。地上の横にいる人がそうかもしれませんし、また霊界にもいます。霊界にはたくさんの先祖がいますが、その中に皆さんを本当に大切にしようとする1人の霊人がいます。その霊人と多くの情を交わすことができます。その霊人のことをアベル聖霊と言います。私にとっては榮進様がそうです。年も1歳違いで、いつも一緒に遊んでいました。私と国進様はとても深いアベル聖霊の協助を受けています。私たち兄弟が成功することで、榮進様も一緒に使命を果たすことができると感じます。」

今回私も、5月1~7日の水澤里での教育に参加してきましたが、私は1986年の5月6日に伝道されました。大学1年のとき、札幌の4プラの前をボーっと歩いていたときに声をかけられ、はじめて原理を聞くようになりました。今回その日から丸23年経ちまして原理本体論を聞いたというのも何か必然性を感じます。復帰される前、私の中で個人的に持っていたスローガンがあったのですが、それは「強調まっぴら、博愛ごめん」というスローガンだったんです。(笑)今考えると自分でもびっくりしますね。それが復帰されたら「中心性と一体化」ということを言われ、まったく正反対の人生になりました。

国進様の御言にもありましたように、今の目の前だけを見つめたら大変としか思えない状況も、長期的な観点で見たらプラスになっていることがたくさんあります。

ある男の子がよくおばあちゃんと散歩をしていて、転んでしまい今にも泣き出しそうになっているときに、いつも「何、拾った」と聞かれたそうです。それで男の子は落ちていた石ころや葉っぱを拾っておばあちゃんに見せると「いいもの拾ったね」と言って頭をなでてくれたそうです。そして大人になってから、おばあちゃんの言っていた意味がわかったと。人生、転ばないと発見できないものがたくさんあるし、転ぶたびに何かを拾って立ち上がるならば、大きく成長していくことができます。そのとき、石につまずいて転んだとしたなら、そこに置いてあった石ころも偶然ではなく必然性があったわけです。私たちが行く道はすべてが必然性になっています。その必然性をつくっているのは神様です。そのことを絶対的に信じているならば、何が起こっても揺れずに進んでいくことができます。しかしそういう絶対的に信じれるものがない人は、何か起こる度に不安になり心が揺れてしまいます。

何かが起きたときに、中にはすぐにその意味がわからない場合もありますが、大きな神様の必然性を感じながら生きる人こそ、最も強く人生を生きていくことができるでしょう。

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