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1月11日 「主体的な人生観」

  • 2009年1月11日(日) 21:14 JST
  • 投稿者:
    管理人
今、愛勝日の映像を見ていただきましたように、今回は記念の辞を薫淑様が語られました。釧路教会には興進様の貴重なサインがあります。1981年6月28日の日付になっていますので、興進様が14歳の時です。釧路のツル公園で仁進様と一緒に映っている当時の写真もあります。

 

以前、薫淑様が日本に来られたとき、相対者が昇華された食口たちの集会に来てくださったことがあります。薫淑様は1人1人の報告を全部聞かれた上で、「皆さんは地上で生活した思い出があるでしょう。私は地上で一度も興進様に会ったことなく霊肉祝福を受けました。地上での思い出がないんです。皆さんが泣くと霊界の相対者が悲しみます。以前ものすごく興進様に会いたかったとき、一度だけ霊界から来て抱きしめてくれました。そして霊界はとても忙しいので理解して下さいと言われ、その後二度と来たことがありません。信哲も一回でいいからお父さんに会いたいといいますが、興進様は私達が地上で責任を果たさないで霊界に来ることを一番心配されています。勝利して霊界に行って興進様に会うことが私の未来の希望です。」と語られました。

薫淑様は地上で一度も会ったことのない興進様と霊肉祝福を受けられ、しかも霊界から興進様が来てくださったのはたった1度しかないという現実に対して、お父様も今回「薫淑には借りがあるんだ。」と言われました。しかし、薫淑様はそのことに不平不満を言うこともなく、逆に将来霊界で興進様と会うことに夢と希望を持ちながらたくましく生きておられます。

人の立場というものは、人それぞれ様々です。それが幸せか不幸かということは、捉え方で決まります。以前読んだある本にこんなことが書いてありました。感情には2つのタイプがあり、何かに反応して受動的に湧いてくる感情と、自分で主体的に作り出す感情とがある。例えば、朝、通勤電車に乗っていると1人の男性がムッとした表情で何人かの人にぶつかりながら乗ってきました。こちらも嫌な気分になり、そしてよく見てみるとYシャツにアイロン皺がついていました。それを見て奥さんからも愛されていないんだろうなーと思いましたが、ふと考えてみると、もしかしたら奥さんが病気で倒れて寝込んでいるのかもしれない。そんな中、毎日仕事で疲れて帰ってきてからも家事をしながら、夜遅くにアイロンがけも自分でしなければならない。すると小さい娘が起きてきて「オバケが出て眠れなーい。」と言ってきた。そんな娘を寝かしつけながら再度アイロンがけをしていたら、今度はお兄ちゃんが起きてきて、「俺がやるから父さんは風呂に入って。」と言ってくれた。その言葉に感動して風呂場で涙を流し、出てきたら、息子が慣れない手つきでアイロンがけをした皺くちゃのYシャツが置いてあり、恥ずかしいと思いながらも誇らしげにそのYシャツを着て胸を張って出勤してきたのかもしれない…と想像してみたというわけです。すると嫌だなーと思っていたその男性が急に慕わしくなり、抱きしめたいくらいの気持ちになった。最初に感じた嫌な感情は受動的に湧いてきた感情であり、あとに湧いてきた感情は主体的に作り出した感情です。

結局何かに直面したとき、それを私がどう感じるかは自分で選ぶということです。人生の価値は自分でどう捉え、感じたかによって決まる。受動的な感情のみで生きている人は、結局受け身の人生なので、すぐ影響を受けやすく揺れやすいです。主体的に自分が作り出す感情で生きている人は、良くないこともプラスに転換できるので、何が起きても怖くないし、希望や自信に転換することができます。

復帰摂理を見てもそうです。ハムはノアの箱舟作りを嫌々手伝っていました。しかし洪水が起きたとき初めて、お父さんが正しかったということがわかりました。でもそれは信仰がなくても誰でもわかる内容だったので、裸で寝ているノアを見たときにすぐ裁いてしまいました。洪水を見れば信じる、裸の姿を見れば不信するという、受身の人生観です。それに対してイサクは、アブラハムとモリヤ山に登っていくとき、供え物がないこと、またお父さんが何か深刻に悩んでいる姿を見て、自分が供え物になるのかもしれないと感じながらも、何か深い理由があるに違いないと、逃げることなく自分の意思でお父さんについていきました。これは主体的な信仰です。そこにはノアの妻とサラという、それぞれの母の違いも大きかったでしょう。では私たちの信仰、人生観はどうでしょうか。バットに打たれたボールのように最初は勢いよく飛んでいってもいつか勢いをなくして落ちてしまう信仰なのか、そっと放つだけで目的地に真っ直ぐ飛んでいくハトのような信仰なのか。

お父様はどんな環境にあっても揺らがない完璧な主人です。興南に入られるときのお父様の心情はどうだったか。①行かなければならない自分も悲惨かもしれないけど、行かせなければならない神様の事情がもっと悲惨である。②自分の実力を現せるのはむしろこれからだ。③監獄の中で神様はどんな人に出会わせてくれるんだろうという好奇心のような心情で入っていかれました。なかなか凡人にはできない発想ですが、結局真の御父母様をはじめ、御子女様たちもそのような主人意識で歩んでおられます。その姿を手本として、私たちも環境や人のせいにするような受け身の生き方はやめて、主体的な人生観でたくましく生きていきましょう。

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  • 1月11日 「主体的な人生観」
  • 投稿者:??蚊?鴻??????若? on 2009年1月11日(日) 22:37 JST

いつも、感動的説教。感謝です。

物理的ボールのような信仰から

鳩のように生命の宿った謙遜な信仰を。

説教の一節(愛の言葉)が、津軽海峡をも越えて

ぼくの胸に飛んで来ました。

詩人の言葉を思い出しました。

  「詩の言葉は、羽のようでなく、鳥のようでなければならない。

 空中に放たれたとき、羽は地面に落ちていくが、

 鳥は空へはばたいていく。」詩人 ポール・ヴァレリー

健康で良き説教を続けられますように。 松西寿三

  • 1月11日 「主体的な人生観」
  • 投稿者:管理人 on 2009年1月11日(日) 23:26 JST
コメントありがとうございます。ハトのように力強く飛んでいきたいと思います。
  • 感動的ですね。
  • 投稿者:??蚊?鴻??????若? on 2009年1月16日(金) 02:37 JST

興進様が釧路を訪問していたとは知りませんでした。きっと北海道が気にいられていたでしょうね。フンスク様や息子様をとても愛していらっしゃると思います。たった一度の訪問にどれくらい夫としての愛と父としての愛をこめられたでしょう。誰よりも愛をもってみもまれていらっしやるでしよう。息子様の所にも尋ねられたのではないでしょうか?きっと歳が小さかったので、分からなかったのかもしれませんね。フンスク様のお話しは心にしみました。私達も愛と理解しあえる心を持って1年を出発したいですね。

2世の練習がいそがしいい。                                   A.Iより

 

 

 

  • 1月11日 「主体的な人生観」
  • 投稿者:??蚊?鴻??????若? on 2009年1月23日(金) 06:37 JST

信仰生活も長くなるといろんな事があります。

苦しいことがあると、ついつい教会や人のせいにしたくなります。

今日の説教を通して、私の信仰が主体的でなかった事に気づかされました。

そっと放つだけで目的地に真っ直ぐ飛んでいくハトのような信仰になれるように

努力していきたいと思いました。ありがとうございました。

                                         沖縄 金城正彦

  • 1月11日 「主体的な人生観」
  • 投稿者:管理人 on 2009年1月23日(金) 18:14 JST

そうですね。実際はなかなか簡単なことではありませんが、少なくとも目指していきたいと思います。