ようこそ! 釧路教会へ 2010年9月 8日(水) 02:41 JST
先日の礼拝の聖歌隊で「赤とんぼ」を歌ったのですが、そのあとコメントをいただきまして、この「赤とんぼ」の作者である三木露風さんが1964年の12月21日に交通事故に遭われ29日に亡くなられているということを知りました。先日の礼拝がちょうど12月21日でありまして、命日ではありませんでしたが、ちょうど44年前の事故に遭われた日に讃美していたということで、とても驚きました。
この曲は日本を代表する童謡でありますが、1921年に作られ、翌1922年に作者は北海道で洗礼を受けてクリスチャンになっています。文先生もこの歌を好んで歌っていらっしゃいますが、文先生がお生まれになった翌年に作られていたんですね。誰もが懐かしい幼い頃の故郷の思い出を偲ぶことのできる名曲だと思います。
考えてみれば、秋でもないのに季節はずれだったかもしれませんが、ふとこの歌を歌うことになりまして、もしかしたら何か霊界からの働きかけがあったのかもしれません。

この記事にはトラックバック・コメントがありません。
コメントは投稿者の責任においてなされるものであり,サイト管理者は責任を負いません。
三木露風さんに関して、ここ数日、合間を見て調べておりました。赤とんぼの詩に曲を付けられた山田耕筰さんも12月29日が命日なのですね。
調べてみると、露風さんのお母さんの事や、他にもいろいろな当時の背景や人物達、世界との繋がり等、世俗的な日本社会では一般的には知られていない面、神様の摂理と思わしき面が次々と浮き彫りにされて、あまりにも驚くことが多いです!
このような時節に、ここで、もしも「赤とんぼ」の歌に出会わなかったら、一生これらのことを知らずじまいだったかもしれません。ありがとうございました。
皆さんもお忙しいと思いますので、後ほど、もう少し幅広く調べて内容を様々な角度から確認し、時をあらためて紹介させていただこうかなと思います。
このサイトにはいつも恩恵をいただいております。感謝です。
どうぞ良い年をお迎えください。
新年明けましておめでとうございます。
「赤とんぼ」から端を発して、三木露風さんと山田耕筰さんについて調べていました。
まだまだ私も研究不足だとは思うのですが、三木露風さんのお母さん「碧川かた」さん、山田耕筰さんのお姉さんである「ガントレット・恒子」さんも、当時の神様の摂理に日本において準備されていた女性の中でも代表的な人物だったのではないかと感じました。興味あるかたは、どうぞ研究してみてください。霊界からも協助しておられると思います。
童謡「赤とんぼ」は、実は1955年の「ここに泉あり」という山田耕筰さん自身も出演した映画のシーンの挿入歌で紹介されてから、大々的に知られるようになった童謡なのだそうです。つまり最初に発表されて約30年後にヒットしたリバイバルです。この年も教会が設立された1954年の翌年ですから、何か神の摂理と縁があるのでは、と感じざるを得ませんでした。
いろいろ調べて下さり、勉強になります。
御父母様がよく歌われる「ふるさと」や「赤とんぼ」などもだいたい大正時代、お父様が誕生される前後に作られていますし、それらが摂理と関与しているとするなら、その当時から日本が母国として準備されていたということにもなるのかもしれません。そしてそれらの童謡が昭和の時代もずっと学校などで歌われながら、日本人は育ってきたわけですね。
日本の伝道を考えると、1980年代に主に30代~40代くらいの婦人たちがたくさん伝道され、その方々が今50代~60代くらいで、ある意味、母国の摂理を今も力強く支えて続けています。その年代の婦人たちはほとんど日本の童謡を歌いながら育った方々ですし、そのような情緒的な素晴らしい多くの童謡を通して、メシヤに侍る情的な世界を神様が教育されたのかもしれませんね。
「赤とんぼ」つながりで・・・、実は「ふるさと」を作曲されたという岡野貞一さんに関してですが、全国の小・中・高等々の学校歌も70曲位作曲されていて、現在もその半数位の35校で校歌が斉唱されているそうです!
岡田貞一さんは、山田耕筰さんと同じ学校の芸大で教授をされていたそうですし、山田耕筰さんのお姉さんのご主人ガントレット氏が教会のオルガンを初代で担当しておられたのを2代目として引き継ぎ42年位オルガン奏者を粛々と務めておられたのだそうです。「赤とんぼ」の山田耕筰さんと「ふるさと」の岡田貞一さんとが、これほど縁が深いとは知りませんでした。
それから、現在は校名が違いますが、3千名余が卒業した釧路高等女学校(大正8~昭和23) の校歌も、何と岡野貞一さんの作曲だそうです!!
どんな曲だったのでしょうか?
岡野貞一さんとするところを、間違えて岡田と書き込んでしまいました。スミマセン・・・
岡野貞一さんは、日本本土はもとより、樺太、台湾、朝鮮、満州まで、160を超える校歌を作曲し、現在も50校以上の学校で歌い継がれているという情報も有ります。
日本本土はもとより、樺太、台湾、朝鮮、満州まで「ふるさと」が歌われていたのでしょうか。